小説『華氏451度』- 本とは容器 –

読書

前に紹介した『1984年』に続き、今回も「ディストピア小説」として扱われている小説を紹介します。
その名は『華氏451度』、作者はレイ・ブラッドベリ。
発行されたのは1953年、『1984年』の4年後ですね。
未来を描いた先見性のある作品の発行が1950年前後に集中してるのは何だか意味深な気がします…。

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華氏451度 ー この温度で書物の紙は引火し、そして燃える

※本編前の題名ページより引用

引用内の「燃える」という動詞は、『華氏451度』という作品を象徴しています。
この作品においては書物をはじめとした紙の本や雑誌などは内容問わず全て焚書として見做されています。
もし本を天井裏などに隠しているのが世間にバレようものなら、昇火士(ファイアマン)によって全て燃やされる世界です。
場合によっては家ごと燃やされたりもします。

作品の内容自体は『1984年』に比べると明るく、息苦しい感じはあまりしません。
娯楽すら不自由であった『1984年』と異なり、壁設置のテレビなど娯楽を楽しむ様子も描かれてますからね。
主人公である昇火士のモンターグとその妻ミルドレッドは割と安定した生活を送っている感じですし。
ただ「紙の書籍が全て”焚書”と見做され禁じられている」という不穏さはつきまとってきますけどね。
そしてその不穏な設定は後半の展開を激しく動かします。

「本の利点=国にとっての不都合」?

何故紙の本がここまで”悪”と見做されているのだろうか?
国にとって不都合な情報を知られたくないならば、TVやラジオなどのメディアも規制すべきなのに…。

後半においてモンターグをフォローするベイティー教授曰く、
本とは「大事な事柄を容れる為の容器の一つにすぎない」とか。
しかし本ならではのある特性があり、それが国にとって不都合なのだと考えられます。

話は変わりますが、ベイティー教授が言う「本よりも大切な3つのこと」について並べてみます。

  1. 情報の本質
  2. その本質が何かを考えて、消化する時間
  3. 【1.と2.】から学んだ事に基づいて行動する為の正当な理由

『2.』の手順においては一度立ち止まりじっくり考える必要があります。
本の場合は「読み進めている時、一度本を閉じる事が可能」という特性があるので、知識を受け取ると共にじっくり考えるにおいて読書はもってこいといえます。
逆にテレビやラジオだと、情報を受け取る事は出来ても、放送の流れを止める事が出来ないですね。
(録画したDVDとかなら話は別)

書を捨てよ、”家族”と話そう

モンターグの妻であるミルドレッドはラウンジの壁にかかったTVに夢中。
TVでは恋愛やコメディなど、観ていて楽しくて耳ざわりの良いセリフが繰り出されてます。
ミルドレッドは夢中のあまり、TVに出てくるお気に入りのタレントを”家族”と呼び、モニターに話しかけて会話している感覚に陥っていますね😅

コレって今の時代におけるネットにも、似通った部分がありますね。
VRをはじめとした仮想空間、CGキャラを自身の代わりに動画で喋らせるVtuber…
そう考えると『華氏451度』も先見性のある作品だと言えますね。

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