『ポリコレの正体』 – 崩れゆく価値観 –

読書

ポリコレの正体 「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは [ 福田ますみ ]

価格:1,540円
(2023/7/25 21:57時点)
感想(8件)

ポリコレとは?

”ポリコレ”という言葉自体はネットニュース等で見かけた人は結構いるかと思います。

いわば【ポリティカル・コレクトネス】の略称であり、和訳すると「政治的な正しさ」となります。
本書『ポリコレの正体』においては、「性別や人種などによる差別や偏見を解消しよう」という
意味合いで用いられています。

多様性や平等とは言うけれど…

本書には平等や多様性というワードがよく出てきます。
この2つの単語の意味に関しては、

  • 平等⇒人と人の間において、能力などの差が無く皆が横並びで等しい
  • 多様性⇒性別、人種、価値観など各々の違いを認め合う

という感じになるかと思います。

しかし本書で取り上げている事例を読んでみると、かなり違和感があります。
極端すぎるというか矛盾しているというか…。

少数派の保護

平等や多様性という言葉をスローガンにして、「少数派の意見と権利を尊重せよ」という声が大きくなっているのが今のご時世。

本書においてその”少数派”の主な例として取り上げているのは以下の通りです。

LGBT(性的マイノリティ)

LGBTに関しては同性愛者又は両性愛者、そしてトランスジェンダーがその対象となります。
(最近ではそれ以外の性的マイノリティも対象になっている傾向アリ)
そして本書において問題視しているのはトランスジェンダー
いわば「心は女(男)だけど身体は男(女)」という風に、
自ら認識している性別と身体に割り当てられた性別が真逆になっている人のことを示しています。
そしてトランスジェンダー女性に関する問題を主に取り上げています。

いくら心が女性だとしても、生物学的には”男性”として生まれてきた彼女たち。
本書ではスポーツの公式大会において、女子競技にトランス女性が出場した事例が
取り上げられています。
男性だと女性に比べると筋肉量も力量も高いが故に、
トランス女性がトップで勝つ結果となってしまう。
その為、心も体も女性である選手たちは割を食う羽目になる。
よってトランス女性の女子競技への参加を認めてしまうと、
多くの不平等が生じることになると言えますね。

しかし抗議した女性側が「トランス女性を差別している」という罪状で、
逆に訴えられる側になってしまうのが現状。

またトランスジェンダー女性の認定に関しては、
「心は女なの!!」という自認による自己申告で認められてしまうのも問題。
現時点でその申告が嘘であるかを確実に見抜く方法はありません。

自己申告(嘘)で”トランス女性”という立場を入手し、
女子トイレや女子刑務所にて性犯罪を起こす輩がいるという事例も
本書では取り上げられています。
(本書で取り上げているのはイギリスで起きたカレン・ホワイト事件)

しかしこうした女性が性被害に遭う事例があるにも関わらず、
「トイレや浴場は生物学的特徴による”男・女”の区分で分けろ」
と主張しようものなら、差別主義者として訴えられてしまう。

性的マイノリティの方に配慮し、人権や自由を認める心がけは大切。
しかしその配慮がゆきすぎてしまい、挙句には国が法律で差別禁止を定める様になる。
日本でもつい最近、LGBT理解増進法案が可決されましたね…

そもそも性別や心などの問題は個人の領域、
他人が無理に介入しようものなら余計にこじれてしまうのは当然。
ましてや政府が介入しようものなら社会は混乱してしまう…

B.L.M

B.L.Mとは「ブラック・ライブス・マター」の略語、いわば「黒人解放運動」に
関して取り上げています。
B.L.Mの運動が盛んになったのは、2020年5月に米国ミネソタ州にて起きた
警官による黒人殺害事件がキッカケ。
運動を起こす黒人たちの主張としては
「白人は不当に我々黒人から自由も権利も奪っている」
「白人は生まれながらのレイシスト(差別主義者)」
というもの。
しかしこのB.L.Mに関しても、本書を読むと「B.L.M=正義」とは言えなくなりました。

欧州諸国、いわば白人の人達による歴史を検索してみると、
植民地支配などの問題が即座にヒットします。

有色人種(主に黒人)の方たちの中には「白人は罪深い差別主義者」という
怨嗟の念を抱く者が相当数存在しているのは事実。

しかし有色人種・白人問わず、我々人類は今を生きています。
罪深い歴史が存在するとはいえ、「白人にはどんな酷いことをしてもいい」
という免罪符には必ずしもなり得ないでしょう。

それに本当に怨嗟の念を抱いて、B.L.M運動をしている方がどれだけいるのかも疑問に思いました。
中には「白人は過去に散々酷いことをしてきた」という非に付けこみ、”被害者”という立場を
利用して放火などの破壊活動をする者がいることも考えられます。
酷い場合には女性への暴行なども…
そうなると「己の欲を満たす」為にやってると非難されても無理はありません。

言葉が無くなる

2021年1月上旬以降、米国では民主党により性別などの属性を示す
単語の使用が禁止される様になったとか。
理由としては「性的少数者への配慮」「性別による差別禁止」でしょう。

しかしその禁じられている単語とは…

  • father(父)とmother(母)
  • son(息子)とdaughter(娘)
  • brother(兄弟)とsister(姉妹)

など家族間ではごく当たり前に仕様する区分に用いるもの。

他にも禁じられた単語は色々ありますが、ここまでくると言葉狩りです。

いくら差別解消と平等が大事とはいえ、「人類はみんな同じ!!」となってしまうと
異常さすら感じます。

平等は素晴らしい?

格差や不平等が無くなり、割を食う者が一切いない社会…
漠然と考えると、聞こえの良い印象。

能力や容姿など、生まれつき得たもので差が生じる不平等な世界ってのは
我々が生きている現実。

私自身もTVやネットで、ルックスも頭も良くて成功している人の
エピソードを見聞きすると嫉妬心を感じたりもします。

しかし世の中ってのは不平等で差があるからこそ、それぞれ個性が生じるもの。
例えば「勉強は苦手でも、YouTubeでゲーム実況などの動画で再生数稼ぐ」など
不得手があるからこそ、得手も映えてきますからね。

あまりに酷い格差や差別があるのは問題だけど、
平等が行き過ぎるのも問題。
それどころかより深刻な差別や不平等が生じる羽目になる…

長所と短所、好きと嫌い…
プラスもマイナスも含めて、自分と異なる存在を認めることこそ多様性だと
私は思います。

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