全体主義化の先にある未来

漫画・アニメ

ドラゴンボール・幽遊白書・スラムダンクの3本柱を筆頭にして、黄金期を築いていた1990年代前半の少年ジャンプ。
そんな3本柱の影に隠れている印象があるけど、黄金期のジャンプを縁の下から支えていたともいえる作品…
それが『アウターゾーン』。

連載期間はおよそ91~94年、ジャンルはホラーミステリー系、回ごとにエピソードが独立しているオムニバス的な作品でした。
だからこそ途中参加でも楽しめるし、怖いだけでなく考えさせられるエピソードもあるのが魅力ですね。
私自身も当時は小学生ながら、怖いと感じつつ夢中になって読んでました。
今回はそのアウターゾーンにおいて印象に残っているエピソードを元にして、今の世の中に対して思う事を述べていこうと思います。

全てが管理される学校

今でも印象に残っているエピソードは挙げると色々あるのですが、その中でも現時点で特に脳裏に浮かんでくるのが『笑う校長』ですね。
このエピソードは新装版アウターゾーン第一巻に収録されています。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00AMB4OZY/ref=cm_sw_r_tw_dp_9E41779PD1RJ5BQ5RYB1

エピソードの主人公は数学教師であり生活指導も兼ねている鬼瓦。
この教師は校則に対して異様に厳しく体罰をも辞さない男。
髪型は角刈りで、教師というより”893”みたいな厳ついルックス。
性格も気性が荒くて、ちょっとでも生徒が口ごたえしようものなら拳で応えます😅
そんな荒っぽい性格と指導が災いしてか問題を起こしてしまい、勤めている学校を追われます。
にもかかわらず悪びれる様子もなく、スナックで悪態を吐いている鬼瓦。
そんな彼の元に新聞記者を称する妖艶な女性ミザリィが現れて、彼に「貴方に相応しい学校がある」と言って新しい赴任先の学校を紹介する…

序盤にかけての大まかな話の流れとしてはこんな感じでしょうか。

問題なのは鬼瓦が「新たな赴任先候補」として向かう学校ですかね。
その学校は山奥にあり、外側は全て堀で囲まれている刑務所と見紛う学校。
校長は常に笑顔を絶やさぬ穏やかな方だけど、常に笑顔な故に不気味さを感じてしまいます。
その学校は「規則の厳しさ」を売りにしており、正に鬼瓦先生にピッタリの赴任先。
だけどその校則の厳しさは世間から見ると異常…

  • 髪型と服装はおろか顔まで全校生徒が同じ
  • 廊下の真ん中には線が引かれている

顔に関しては入学前に整形手術が義務付けられている。
しかも校長はそれでは足らず、
「身長と体重も全て統一したい」
「いずれは男女の性別も無くしたい」
「名前も無くして、生徒は全て番号で呼ぶ」
と発言。

校長曰く「全てを平等にすれば個人的な感情を抜きにして生徒を指導出来る」とか…
ここまでくると刑務所どころの厳しさではないですね。
それどころか生徒を人間として見做していないと言っても過言ではありません。

『見た目も能力も立場も全てが平等になり、格差が無くなる。
そうすれば争い事も起きなくなる』
前向きに捉えればそうかもしれません。
でも【争いが無い=平和】とも言い切れないのでは?
学校の生徒達は厳しく管理されているが故に、どの行動一つとっても統一されています。
しかしどこか息苦しくて、人間味が伝わってこない印象。
まるでロボの様ともいえます。

そもそも平等という事に関しても、疑問を感じてしまいます。
生徒同士、生徒と(校長以外の)教員の関係においてはそうかもしれません。
しかし【校長と生徒(校長以外の教員)の関係】においてはそうとは言い切れないですかね。
事実その『笑う校長』とやらが生徒と教員の上に立って学校を支配している状態ですし…
正に中世ヨーロッパの君主制といったところでしょうか。
いうなれば全体主義ですかね。

今の世界において起きてること

『笑う校長』を今読むと、1990年代前半にジャンプ誌上に掲載されてた時よりも生々しく感じてしまいます。

日本においては一歩外に出ると、通行人の99.9%が顔にms9を着用。
その光景を見た途端に『笑う校長』が管理している学校における、【「正しい顔型」の指導】を彷彿としてしまいます。
現状ではお願い(マナー)止まりですけど。

主な理由としては「自分が感染せず、人にも感染させない為」ですかね。
(『周囲への思いやり』というキャッチフレーズもセットにして…)
とはいえ流石に99.9%が同じってのはどうも違和感を感じてしまいます。

海外に目を向けようものなら、ms9の着用が法律で義務付けられている国もあります。
それを踏まえると、着用はあくまでマナーと見做されている日本の方がまだマシなのでしょうけれど。
しかし2022年以降はどうなるか分かりませんね。国会では憲法改正の声が上がっているのが現状ですし、今の国民の動きを見ると国民投票の結果によってはとてつもない変化が起きる可能性だってあります。
もし憲法改正により「目的の為なら国民の自由を制限する事も許される」という事になれば、ms9着用の義務化も現実となる可能性もあります。
それどころか『感染対策』という名目の元に更なる厳しい制限が施行されるかもしれません。
そう考えるとどうしても納得出来ないというのが私の正直な気持ちですかね。

「感染の脅威から命を守る為なら自由(私権)すら犠牲にしなければいけない」
「昨年2月から今に至るまで続くパンデミックの脅威を乗り越える為に皆で協力しよう」
いくら頭でそういう旨を言い聞かせようとしても、心が拒絶するといったところでしょうか…

民主主義は”自由”を尊重するのか

403 Forbidden

かつての近代西欧社会において、国民の意思を尊重する制度として『民主主義』が成立。
一部の特権階層が全国民を支配する『君主制』とは打って変わるものだといわれた。
しかしその民主主義も全国民における”多数派”の主張が幅を利かせて、”少数派”の主張は追いやられてしまう。
それに”多数派”の主張が過ちだったとしても、その過ちに気付いた者が”多数派”に所属している限りはその主張の流れは止められない。
ならば”多数派”を抜けて”少数派”へ移行しても、今度は”多数派”に排除される側となる…

『BEST TIMES』に掲載された仲正昌樹氏の記事を読んだ途端、上記の事が頭に浮かびました。
民主主義とは必ずしも全国民に自由(私権)を保障するものではなく、「各々の自由が保障されるか否か?」は意見の異なる国民同士が如何に対話を続けるかに左右されるといったところでしょうか。
少なくとも今の日本では多数派が幅を利かせており、少数派との対話は上手く成立しているとはいい難いかも…

とはいえ全体主義化してしまうのも勘弁ですかね。
『一人のカリスマ性溢れるリーダーが全国民を引っ張り、その国民もリーダーに忠誠を誓う』って構図は恐ろしいものを感じますし。

少なくとも今のms9への信仰はどうにかなってほしいものです。
【素顔の人=他人に感染させる人】って公式には本当にウンザリさせられますので。

Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。

不幸の後には幸運が訪れるのか?

「人生には確率ってものがあるわ」

「不幸を避け続ければ将来起きる不幸の確率は上がっていくのよ。
量的にも質的にもね」

新装版アウターゾーン3巻 第28話『不幸の確率』

アウターゾーンの案内人(28話においては占い館の店主)であるミザリィの台詞。
このセリフが本当であるならば、今の世界もいずれは良くなるのでしょうか…
(そうであってほしい!!)

『現在起きているパンデミック騒動という類の不幸は、いずれ世界中に訪れる幸運の前触れ…』
そう書くと映画のキャッチコピーみたいですね😅

実際2019年以前の世界だって台風や地震などの異常気象及び災害、貧困などの格差…
色々問題は山積みでしたからね。
「もし567禍が起きてなければ、今頃世界はもっと酷い状況下に置かれていたかも…」
そう考えてみるのも一興ですかね。

とはいえこの先の未来はどうなっていくのは誰にも分からないもの。
私自身もそうだけど、まずはネガティブ思考に陥るのを控える事ですかね。
人間の心には『引き寄せ』があり、”思い”が強すぎるとその”思い”が現実化すると言われてますし。
特にネガティブな思いってのは引力が強く、意識してその引力から離れなきゃいけませんからね。
どうせならポジティブな思いを極力浮かべていきたいものですね😊

https://www.amazon.co.jp/dp/B00AMB4P12/ref=cm_sw_r_tw_dp_V1P4220DRTYE4BTEDK7T

コメント

タイトルとURLをコピーしました